支部会誌『医療と倫理』総目次
第10号(2016年3月) ISSN 1345-9007
(巻頭言)
論文
<特別寄稿>
ドイツにおける「患者の事前指示」に関する新法――その概観 ウルリッヒ・ローマン (森 禎徳訳)
人間の尊厳にまつわる哲学的な諸問題とその解決への提案(下) ラルフ・シュッテカー (浅見 昇吾訳)
<研究論文>
生きる権利と殺してはいけない義務 ――パーソン論の検討を手がかりに―― 林 大吾
プラシーボ対照試験の倫理的妥当性 森 禎徳
「植物状態を生きる」ということ ――カレン・アン・クラインの「その後の物語」を中心として―― 小館 貴幸
若年日本女性のBMI定価と出生時低体重児の増加に見る生命倫理学の課題 青山 彌紀
<研究ノート>
患者の意思決定と看護師の役割 ――看護領域における合意形成論の検討―― 永田 まなみ
書評
広島大学応用倫理学プロジェクト研究研究センター訳 『ジープ応用倫理学』 木村 博
資料
フランス国家倫理諮問委員会: 意見第72号「着床善診断の拡張に関する考察」(2002年7月4日) 小出 泰士(訳)
第9号(2013年3月) ISSN 1345-9007
(巻頭言)
論文
<研究論文>
痛みの意味と医療 池辺 寧
“穏やかなパターナリズム”とは何か ――インフォームド・コンセントにおける「会話モデル」に代わるもの―― 石田 安実
苦痛緩和処置についての倫理的考察 ――緩和医療、消極的安楽死から積極的安楽死に至るまで―― 舟木 祝
生命倫理における人格論の論理構造: M. トゥーリーの批判的検討と人格論の新たな可能性 前田 義郎
脳神経倫理学とメンタルな存在の問題 ――責任、自由意志などをめぐって―― 村松 聡
<特別寄稿>
人間の尊厳にまつわる哲学的な諸問題とその海家への模索(上) ラルフ・シュッテカー (浅見 昇吾訳)
<研究ノート>
医療におけるエラーと専門職の責務 田村 京子
書評
エンハンスメントは「社会」をどう変えるのか マイケル・J・サンデル『完全な人間を目指さなくてもよい理由――遺伝子操作とエンハンスメン トの理由』 坪井 雅史
資料
フランス国家倫理諮問委員会: 終末期、生命の中止、安楽死に関する意見63号(2000年1月27日) 小出 泰士(訳)
エッセイ
生命と自己と倫理(1) 青木 茂
第8号
医療制度の危機の中の医療倫理 |
尾碕恭一 |
(特別寄稿) |
医療過誤に対する医師の責任の法的根拠 |
ハンス=ゲオルク・コッホ(中澤武 訳) |
(論文) |
<研究論文> |
安全と納得とのあいだで ――産科医療に関するインフォームド・コンセント再考の一視点 ―― |
中澤 武 |
カントの人格論と生命論 ―― その生命倫理学的射程 ―― |
高田 純 |
患者と医療者の信頼関係を築くためのインフォームド・コンセント ―― 看護師の役割に焦点をあてて ―― |
宮脇 美保子 |
フランス生命倫理における家族に関する遺伝情報の取り扱いについて |
小出 泰士 |
<総説論文> |
現代社会における家族間の「平等」観の変化 |
五十子 敬子 |
小出泰士『良識から見た生命倫理』 |
田村 京子 |
「安全学」とは何か-新しい学問領域の誕生と展開の可能性
村上陽一郎『安全学』『安全学の現在』『安全と安心の科学』 |
遠藤 寿一 |
フランス国家倫理諮問委員会「医療上必要な場合に家族の遺伝情報を知らせる義務に関する意見第76号(2003年4月24日)」 |
小出 泰士(訳) |
学会エッセイ 支部創設のころ |
木阪 昌知 |
第7号
生命倫理における普遍的な宣言と文化的多様性 |
尾碕恭一 |
(特別寄稿) |
ドイツ法におけるヒト由来の胚及び胚性幹細胞を用いた研究(下) |
ヨーヒェン・タウピッツ(神馬幸一 訳) |
Informed Consentと同意能力に欠ける場面の代替可能性 ドイツの場合 概観 |
ウルリッヒ・ローマン(村松聡 訳) |
(論文) |
<研究論文> |
医学における疑似科学の問題 ――代替医療は疑似科学か ―― |
杉岡 良彦 |
「信頼」をめぐる齟齬 ―― 医療過誤訴訟からみえてくる倫理的問題 |
田村 京子 |
<研究報告> |
無償の代理出産に対する肯定的所見 ――日本学術会議への提言―― |
児玉 正幸 |
<調査報告> |
聞き取り調査報告:生を終える決定 |
盛永 審一郎 |
<エッセイ> |
Actual Realityと Virtual Reality |
青木 茂 |
臨床研究のあり方を考える レネイ・ファックス、ジュディス・スウェイジー著『臓器交換社会』 |
黒須 三惠 |
保険への遺伝子診断利用 松田 純監訳『人間の尊厳と遺伝子情報 ――現代医療の法と倫理(上)』 |
船木 祝 |
生物学的アプローチの可能性――Michael Quante『Personales Leben und menschlicher Tod』―― |
浅見 昇吾 |
ユネスコ「生命倫理と人権に関する世界宣言」 |
黒須 三惠他(訳) |
ユネスコ「バルセロナ宣言」 |
村松 聡(訳) |
欧州議会「バイオテクノロジー発明に関する特許についての欧州議会決議」 |
池辺 寧(訳) |
社団法人医学倫理アカデミー「教育目標 医学学習における医学倫理」 |
池辺 寧(訳) |
学会エッセイ 学会及び支部誕生を回顧して――「総合」に憑かれた男のはなし―― |
櫻井 弘木 |
第6号
先人の叡智を踏まえて現在の医療倫理を考える |
関根 透 |
(特別寄稿) |
ドイツ法におけるヒト由来の胚及び胚性幹細胞を用いた研究(上) |
ヨーヒェン・タウピッツ(神馬幸一 訳) |
ドイツにおけるES細胞研究 ―― 諸法律とイデオロギー |
ウーヴェ・ケルナー(船木 祝 訳) |
(論文) |
<研究論文> |
自己決定」に制限はあり得るのか ――ドイツ積極的臨死介助容認論と反対論の検討―― |
船木 祝 |
工学倫理あるいは科学技術倫理、JABEEとその問題点 ―― 「哲学」は今、なにを問われているか |
長島 隆 |
検体等の医学研究利用における見なし同意と包括的同意について ――国立がんセンターを例に―― |
黒須 三惠 |
臨床経験のない医療倫理研究者の弁 あるいは批評的良心と行動的良心 |
青木 茂 |
<研究ノート> |
老人介護施設における倫理・哲学の必要性 ――老人看護・介護の個人的な体験を通して―― |
小山千加代 |
臨床現場に即したケア論 平山正実/朝倉輝一 編著『ケアの生命倫理』(日本評論社) |
小松奈美子 |
ドイツ生命環境倫理学に学ぶ 松田 純 著『遺伝子技術の進展と人間の未来』 |
棚橋 實 |
フランスの生命倫理学 幾つかの論文 |
河野 哲也 |
生命倫理 URL集 |
勝山貴美子 |
学会エッセイ 学会発足を顧みて |
杉田 勇 |
第5号
隣人への奉仕かプロフェッショナルな看護か-看護にとっての価値 |
マリアンネ・ラーベ(皆見 浩史 訳) |
(論文) |
<研究論文> |
医療におけるケアと責任の倫理について |
朝倉 輝一 |
看護におけるインフォームド・コンセントの認識と課題 |
勝山貴美子 |
人由来の臓器等の提供における倫理的・法的問題 |
黒須 三惠 |
<研究ノート> |
フランスにおけるヒト胚の道徳的地位 |
奈良 雅俊 |
ナラティブと専門家:小森康永・野口裕二・野村直樹編『セラピストの物語/物語のセラピスト』(日本評論社,2003年) |
和田恵美子 |
韓国 臓器等の移植に関する法律施行規則・施行令(大韓民国大統領令) |
(水野 邦彦 訳) |
ドイツ 疫学研究指針 |
(長島 隆 訳) |
第4号
ヒト胚の倫理的、法的地位 |
ヨハネス・ライター(長島隆 訳) |
(論文) |
<研究論文> |
医療倫理とコミュニケーション理論―討議倫理とポストモダンの狭間で― |
浅見昇吾 |
ひとは如何にして子どもを「捨てる」か―ドイツにおける「捨て子ボックス」の現状報告― |
阪本恭子 |
一般病院における緩和ケア―患者の治療希望と医師の倫理的ジレンマ― |
中神百合子 |
ケアの倫理と現代医療―21世紀のヘルスケア構築に向けて― |
松島哲久 |
<研究報告> |
ハイデッガーにおける人間本質への問い |
皆見浩史 |
<動向紹介> |
臓器移植法の改正にかかわる問題―臓器提供先の指定と15歳未満の臓器提供について― |
黒須三惠 |
安楽死と自殺幇助―オランダとアメリカの動向― |
棚橋 實 |
人格とは何か―科学としての医学と人間の尊厳:村松聡著『ヒトはいつ人になるのか』(日本評論社、2000年) |
岩倉孝明 |
エコロジカル・モデルにおける越境するケアとは 広井良典著『ケア学―越境するケアへ』(医学書院、2000年) |
勝山貴美子 |
ケアの現場で活きて働く理性を求めて 中岡成文著『臨床的理性批判』(岩波書店、2001年) |
奈良雅俊 |
医の倫理綱領 |
日本医師会 |
薬物療法を遂行する際の医師と薬剤師の職分に関する声明 |
世界医師会 |
安楽死に関する2002年5月28日の法律 |
ベルギー王国(磯部哲・本田まり訳) |
医療倫理関連HPアドレス集(2) |
|
第3号
(特別寄稿)〈生物医学に関するEU協定〉 |
ルートガー・ホンネフェルダー |
福音主義の責任―生物医学に関するEU協定の評価― |
(川本隆 訳) |
自然と胚の地位―哲学的諸様相―(EU第3回バイオエシックス・シンポジウム報告) |
(朝倉輝一 訳) |
(一般論文) |
<特集:生命倫理と人格論> |
人格理解と複合的な身体観―なぜ人格なのか? 生命倫理の中核概念としての人格― |
村松聡 |
「パースン論」の本質的発想への批判と限界―方法的分裂と「社会的な意味でのパースン」を巡って― |
重野豊隆 |
生存する権利と人格 |
渡邊智寛 |
<研究論文> |
生殖医療とこどもの権利 |
長島隆 |
<動向紹介> |
臓器移植法の見直し論議と移植実例の検証 |
黒須三惠 |
安楽死と自己決定権―ジャック・キボーキアンをめぐって― |
棚橋 實 |
ランチョン・セミナー「医療倫理と討議倫理学」 |
発表:朝倉輝一 司会:浅見昇吾 |
医療判断における前提事項の存在について―不眠の訴えに対する医療判断を分析する― |
宮下浩明 |
主観を医学理論に導入する試み―V・v・ヴァイツゼッカー著 木村敏訳『病いと人』― |
青木 茂 |
「概説」から「キーワード集」を経て「事典」へ―21世紀の生命倫理研究の基盤整備をめざして― |
近藤 均 |
大韓民国 臓器等の移植に関する法律 |
(水野邦彦訳) |
薬物療法を遂行する際の医師と薬剤師の職分に関する声明 |
世界医師会 |
医療倫理関連HPアドレス集 |
|
第2号
医学における法と良心の決定 |
ウーヴェ・ケルナー(川本隆 訳) |
(寄稿) |
エホバの証人は何故輸血を拒否するのか |
藤江喜清/植松平八
(エホバの証人の医療機関連絡委員会 宇都宮委員会) |
(一般論文) |
<研究論文> |
生殖医療とフェミニズム―金城清子『生殖革命と人権 産むことに自由はあるのか』によせて |
高畑明尚 |
ヴァイツゼッカーの医学的人間論―「医学的人間論」(2)― |
青木 茂 |
我が国における積極的安楽死 その法的および倫理的正当化の諸問題に関して |
尾崎恭一 |
<動向紹介> |
個人の自由と生命―アメリカ連邦最高裁の判決をめぐって |
棚橋 實 |
創刊号
ドイツにおける臓器移植の基準をめぐる問題 |
ウルリッヒ・ローマン(寄川条路/服部健司 訳) |
(一般論文) |
<研究論文> |
同性愛研究の最新動向 |
関 修 |
道教の宗教性と死生観 |
桜庭和典 |
健康概念の使用の問題 |
服部健司 |
医療倫理教育者のモラルと使命―「東京HIV訴訟」原告に学ぶ授業をモデル・ケースとして― |
近藤 均 |
<寄稿> |
医師による自殺介助―アメリカの医師たちの報告 |
棚橋 實 |
生きている無能児からの臓器提供について―米国医師会倫理法律問題審議会報告― |
黒須三惠 |
<医療の現状と課題> |
保健婦の仕事 |
小宮山恵美 |
ソーシャルワーカー(保険・医療分野)の機能と役割 |
遠藤正樹・阿萬由起子・大倉民江 |
遺伝子治療における諸問題 |
柳堀素雅子 |
杉田勇・平山正美編著『インフォームド・コンセント』 |
松野 進 |