2004-6年度活動:前委員長 長島隆(東洋大学)

国際学術交流委員会報告I-2

2006年10月21日

国際学術交流委員会委員長

   長島 隆

  まず第1に、理事会および評議員会に対して、わたしが本委員会を担当して付託された課題である「国際誌」の刊行が達成され、第2号の準備に入っていること を報告しておきたいと思う。この点に関して若干の報告を行い、創刊号、第2号の準備のなかから浮かび上がってきた問題点を指摘して、次期委員会に引き継ぎ たいと考える。そのまえに、わたしがこの委員会を継承した最初の報告「国際学術交流委員会報告I-1」での問題点を参照していただくべくお願いするとともに、創刊号で不備が生じたことをお詫びしておきたい。

1.国際誌の刊行

国際学術交流委員会は、数年にわたる本委員会に付託された「国際誌」の刊行という課題をこの7月に創刊号を刊行することによって達成することができた。

①          創刊号は、エディとーリアル1本、論文4本で構成された。その詳細は前理事会で報告済みなので今回は省略する。なお、論文1本に関して特殊文字のための誤植が生じ、執筆者に迷惑をおかけしたことをお詫びする。また今後印刷に入る前に、通常の編集のやり方である執筆者の確認を行うことで今後に期する。

②          現在、創刊号は重要な外国機関に送付中である。

③          第2号は、新たな編集委員会体制で、創刊号刊行後直ちに募集を開始し、多くの応募者があった。厳正な第1次査読の上、採択論文を決定し直ちに執筆者に査読表をつけ依頼した(応募数15、採択数8)。英語の本論文の提出期限が1月であり、その後直ちに第2時査読に入り、執筆者とやり取りをしながら、ネイティヴチェックをおこなう予定であり、来年7月に刊行する予定である。

編集委員会の構成:粟屋剛、岡本珠代、酒井明夫、霜田求(編集長)、長島隆

2. 問題点

①まず応募者の数の問題

この点ではすでに創刊号段階で、8名の 問い合わせがあったが、実際に掲載まで行った方は4名であったこと。この点で、やはり、本委員会および理事会の姿勢が問われる問題が浮かび上がってきてい ることである。つまりすでに、この「国際誌」の問題は、世代交代した第1期である桝形会長時代からの課題である。だが、この課題が実現することにたいする 躊躇が理事会ならびにこの委員会にあったことは否めない。このことが、「国際誌」を実際に本学会が刊行するつもりなのか、刊行できるのかといううたがいを 会員に与えていたことがこういう状態を引き起こしたといわねばならない。

他方で、問い合わせ数と第2号での応募者数から見ても会員の中には、「英文で論文を書くこと」にたいする意欲と願望があることは否定できない。そうする と、本理事会は、こういう会員の潜在的な意欲と願望に答えることができるかどうかが問題とならざるをえない。その点で、会員の要求に対して答える姿勢をわたしを含 めてこれまで世代交代し新しい世代が理事会を継承しながら、この世代交代そのものが疑われざるをえないという厳しい自己批判が必要とされると思う。この点 をまず指摘しておきたいと思う。何よりも理事会は、会員の要求に、そして評議員の要求に積極的にこたえることによってのみ存在意義があるといえるだろう。 そういう意味でもなかんずく理事会はこういうが委員の要求を徹底して尊重し課題化して、それを実現すべく権限を付託されているのだということを改めて肝に 銘じる必要があると考える。

②われわれはなぜ欧文で論文を書くのか

A.すでに先の報告(I-1)で 述べたように、この点では、われわれがこの学会の中心テーマを「医学と哲学」の交差する点においている。このことが、われわれの課題を明らかにする。バイ オエシックスがアメリカから発信されてきたとしても、日本の医学が、やはり世界的に重要な位置を占めていることを重視しなければならない。つまり「日本と いう特殊性」から出発しながら、われわれは国際的な議論に参画することを義務付けられていることである。この点では、日本の自然科学者、医学者たちが国際 的なレベルでディスカッションし、また外国の研究者をそのように遇していることが必然的にわれわれにもそのようなレベルでの議論を要求していることであ る。そして、日本の研究者にそういう期待をも寄せていることは直視するべきである。果たしてわれわれはこの課題を実現することができるかどうか。

このことが「われわれはなぜ欧文で論文を書くのか」という問題の含意であるといえよう。それは医系大学に在職していたわたしにはよくわかる。実際応募数の 増大から言えば、直接には所属する大学からの明示的、潜在的な要求があり、それを自覚しているがゆえに応募してきているといえるのではないか。そうだとす れば、応募者はますます増大すると考えなければならない。

だが、この点でわれわれが注意をしなければならないのは、第1に、そのような外的要求をもう一度「何のためにだれに向かって論文を書くのか」という問題で ある。まず、何のためにということは明確に論文を書くことの意味を規定する。すなわち、本学会の「英文誌」の場合は、まさに、国際的なレベルでの議論に日 本から参画し、議論の深化のために貢献することである。

だが、この点で、この間の査読のプロセスでも明らかになったことであるが、執筆者自身が自らの議論を英語で書くことの意味をもっと明らかにすべきだという ことである。発信する「新しさ」をきちんと検証しておく必要があると思われる。それはすでにアメリカから発信されて30年以上の歴史があり、ドイツなら ば、医学史を学として確立する時点から見れば100年以上の歴史がある。きちんと「新しさ」をこういう研究の歴史のなかで位置づけることが必要である。

それと同時に自らの議論が依拠しているこれまでの議論をきちんと自覚化させ、それをどう革新するのかを自覚化させながら書くことである。

医療系の研究者の場合も、対象の新しさに依存することなく、議論の積極性をつねに解明するように努力することが重要である。

「医療倫理」という場面では、どうしても医療系の研究者も哲学形の研究者も異なった困難を抱えているけれども、こういう自ら抱える困難を研究の共同の中で克服していくことが重要なのではないか。

さらに、この点で、「だれが」という点がきわめて重要である。つまり、われわれが必死で読んでいる文献がすでに共有のものとなっている研究者の人たちだと いうことである。つまり、英文の論文ではかなり議論の前提となっていることがあることである。だから、日本人に書く場合にはまだ知られていない場合にどう してもその文献の内容紹介が必要になるが、外国語文献の場合にそういう内容紹介的な議論が必要かどうかである。

こういう点をよく吟味しながら自らの議論を論文として構成していく作業がどうしても必要なのではないか。

B.ネイティヴ・チェックの問題

若い世代の研究者にとって、ネイティヴ・チェックを 義務付け、かつ本学会の機関誌と同じ執筆料に該当する買取を義務付けることはこくなのではないかという議論はよく聞いている。だが、この点で、いくつかの 点を重視すべきだと考えている。すなわち、ネイティヴ・チェックを金銭の問題に解消してはならないということである。ネイディブ・チェックは本来、外国人 との研究の共同においてはじめて真のチェックは可能になるのではないかと考える。この点をよく考えなければならないだろう。たしかに金銭が介入するかもし れないが、ネイティヴ・チェックは、本来、議論を前提する(論文執筆過程と同様に)。 そういう関係をわれわれが日本で研究する、われわれが外国で研究する際に直面する困難を彼らも抱えているといわなければならない。文化の相違を超えて、お そらくわれわれはこういう研究の共同を形成することが重要になるだろう。そういう意味で、はじめは単なる英語のチェックであるとしても、各過程でこういう 研究の共同を形成し、そこで始めて英語で論文を書く意味も明らかに成ってくるといわなければならない。

この「文化の相違」という点に、われわれは外国語で書きなれているかどうかをはなれて、すべての執筆者に「ネイティヴ・チェック」を応募の際に義務付けて いる。これはすでに第1戦で活躍している執筆者には不愉快かつ不満の温床になるかもしれない。だが、あえて言えば、そのような研究者の方にこそ必ずネイティブ・チェックを受け、こういう共同の先端に立っていただきたいと思う。それと同時にやはり言葉の問題はこの「文化の相違」という点にこそあり、このことがまだ十分に理解されていない段階では(これはなにも外国と日本という大きな意味だけではなく、東京と東京外、都会と地方でもあると思われる)、やはり謙虚の自らの語学力を磨いている姿をやはり若い世代には示していただきたいと考える。

そして、私自身自分が院生時代を思い出すのは、自分も先輩の院生に論文を読んでいただき、批評を受けたし、あるいは朱まで入れていただいた経験があるし、 また逆に後輩の院生にたいして同様に振舞ったこともある。こういう関係を外国人との関係でも作り上げることの重要性を再認することが重要である。

最近は「外部資金の導入」が喧伝され、かなりの研究者がこういう資金を受けていると思われる。こういう導入の対象となった研究に若い研究者をも入れ、そこ から、英語で論文を書くことを目標点としてあげ、そのような努力とアドヴァイスによって若い研究者の財源の保証も可能にすることも可能ではないか、さまざ まな形で、たしかに自らお金を出すことが大変な若手研究者もまた十分本雑誌に応募することが可能となる条件を作り出すことことこそ重要だと考える。

C.すでに、前期報告で指摘したように、現段階の研究者養成においていまだ「欧文で論文を書く」トレーニングは目標としてあげられていないが、すこしづつこういう方向が出てきている。

だが、これがうまくいくかどうかはかなりの点で疑問があるといわなければならないだろう。義務教育課程にまで英語教育を導入しようとする改革が日本でも進 んでいるが、そういうシステム形成とカリキュラムがないところで、こういうことをおこなっても、おそらく失敗するだろう。

そういう課題を掲げながら実際は個人負かせという現段階で、われわれの学会の課題は重い。正規教育の目標と「欧文で発信すること」をつなぐことこそが本学会に課せられた課題であるといわなければならない。

③残された課題

以上からわれわれの委員会は、次の課題が今後の課題として残されているといわなければならない。

A.      すでに前 期報告でも述べていた「英文論文作成講座」システムの構築である。これはできるだけ、速やかに実現することが重要だろうと考える。とりわけ、英文で論文を 書こうとする会員が、英語で書く際の手ほどきをしていくことは重要であり、実際書こうと思っても躊躇してしまうのが現実である。その点でこのシステムは重 要な役割を果たすだろうと考える。

B.      「依頼原 稿」の条件を明確にすること。これは今後応募者が増大することが考えられ、その際、できるだけ積極的に会員の論文を掲載していくことは本雑誌の課題でもあ るといえるだろう。いずれ年2号刊行はすでに課題として上がっているが、そのとき、本数が足りなくなる、あるいは論文を巡る執筆者と編集者のやり取りなど から1冊には足りない場合もありうる。そういう意味では、日本人、外国人への依頼原稿を掲載することによって安定的に雑誌刊行を保証することが重要であ る。

この点では本学会誌の機関誌編集委員会も「依頼原稿」規定を持ちながら、まだ実現できていない。この点では、編集委員会、国際委員会、そして運営委員会の中でこの条件を明確にすることが必要だろう。

C.年2冊刊行の速やかな実現。

これはBで述べた現実を克服する上でも重要であるが、当初からの課題でもある。だが、この点で、やはり財源の問題があることを指摘しておかなければならない。本委員会が国際誌刊行の課題を付託された際には、この点でも本学会の課題も明示されていた(次の項参照)。まず、Bとの関連で、年2号刊行とすると何本程度の掲載が可能か、またそのために依頼原稿はどの程度必要とするかも明らかにしなければならないだろう。この点ではやはり事務局と相談の上解明していくことが必要だろうと考える。

D.学術振興会からの助成の回復。

これもまたCとの関連で、解明することが必要である。現実に助成はどの程度の条件で実現可能かを明らかにし、逆算的に本学会の国際誌がそれを可能にするためにはどの程度の雑誌にするかを明らかにすることが重要である。

E.理事会、および評議員会からの抜本的なてこ入れの必要。

この点は第1に、積極的に役職者が応募するようにしてほしい(査読は平等である)。第2点としては、やはり依頼原稿の問題である。この依頼原稿は現段階で基準が明確ではないが、これまでの議論を踏まえれば、基本的に役職者に依頼することになるだろう(この場合も無審査はありえない)。そのために、Bの条件を明らかにすることを前提に、できるだけ多くの役職者に依頼にこたえていただきたい。第3に、やはり財源の問題である。編集委員会がおこなうネイティヴ・チェック代を含め、本雑誌の刊行費も委員会費とは別枠で予算化していただきたい。当然この点は、この後のこの雑誌の刊行の実績を前提するし、かつ3役および運営委員会と議論を重ねて可能性をシミュレーションすることが前提である。

3.        国際委員会のそのほかの課題

①          国際学会との交流の強化

この課題はこのかんほとんど前進がなかった。事務局の努力で毎年European Society of Philosophy and  Ethics in Health Care and Medicineの大会予告が見られるようになっている。だが、この学会への参加をできるだけ促進 していくようにする必要がある。

②          韓国、中国の当該学会との連携の強化

現在この点では創刊号をおくる活動を準備している。できるかぎり、これらの学会とは人的交流を含め、連携を強化していくこととする。

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