第2回 日本医学哲学・倫理学会奨励賞

第2回 日本医学哲学・倫理学会奨励賞 受賞候補者の推薦について

2004年10月21日   日本医学哲学・倫理学会編集委員会

編集委員会は、本学会の「日本医学哲学・倫理学会賞および奨励賞規定」(平成12年4月1日より施行)に基づき、学会誌『医学哲学・医学倫理』第 22号掲載論文の内、若手研究者執筆の論文を対象に、論文の完成度、独創性、将来性などを考慮し検討した結果、下記の論文を奨励賞に値するものとして推薦 する。

受賞対象論文:堀田義太郎「障害の政治経済学が提起する問題」(『医学哲学・医学倫理』第22号、2004年)

生命科学研究の進展に伴い、人の出生への介入が遺伝子レヴェルで可能となりつつある今日、生命の「質」に基づく選別や操作が医療行為として行われ るようになってきた。特定の遺伝子型と表現型との相関性に関する医学研究、「正常/異常」「健常/障害」といった価値評価尺度をめぐる社会学的研究、福祉 政策における障害者の介助のあり方(負担と給付)や障害者雇用・福祉産業についての政治経済学的研究、そして財の配分の公正さに関する政治哲学的研究な ど、「障害」に関わるいくつかの問題系が併存しているのが現状である。

医療倫理学や生命倫理学の分野においては、こうした問題はおもに出生前診断や着床前診断などとの関連で論じられてきたが、「障害」それ自体に焦点 を当てて問題化することはほとんどなされてこなかった。「障害」を理由とした生命の選別をめぐる当事者あるいは一般公衆の価値観や「障害者」というカテゴ リーの倫理的・社会的意味、そしてそれが、障害者が地域・社会の中で生活していく時に直面する課題、とりわけ負担や財の配分のあり方とどのように関係する のかなどの問いは、医学哲学・倫理学にとっても避けて通ることのできない重要な課題である。

本論文は、こうした問題に対して、おもに社会学の分野で展開されてきた「障害学」(disability studies)の知見を軸に、生命倫理学における「障害」概念への言及と政治経済学的な政策レヴェルの議論および配分的正義に関する政治哲学的研究とを 突き合わせることで、一つの方向性を探ることを企図するものである。その作業の中心に据えられるのは、近代社会において「障害」というカテゴリーが「生 産」ないし「労働」という概念と対置されて導入されたこと、通常「社会の負担」と思われてきた「障害者」が、実は障害関連サービス組織の維持存続、労働市 場の秩序維持などの「隠れた機能」を持っていることを指摘した「障害の政治経済学」と呼ばれる研究の批判的検討である。著者によれば、この研究は、「障 害」を社会によって構築されたものとして認識し、「障害」に関わる責任・負担を社会の側の問題として捉える「障害の社会モデル」を実証的に支えるものであ る。さらにそれは、「障害」を「身体の損傷」と同一視し、医学的処置による「治療」の対象あるいは「リハビリ」の対象と見なす「障害の医学モデル」を批判 し、「生産性」や「有用性」といったものを基準に人間を評価する社会の価値規範の根本的転換を図るものとされる。

本論文は、このような「障害の政治経済学」の問題提起を積極的に受け止めその意義を承認した上で、その限界を次のように指摘する。障害という「非 生産的であること」の「隠れた正の機能」を強調することは、「労働」とは逆の仕方でではあるが、依然として社会的な有用性(「社会や他人にとって何らかの 意味を持つ」)という尺度により人間を評価する価値観を保存している。その上で著者は、「グレーゾーン=境界」の人――能力という評価基準によって健常者 の競争からは排除され、同時に「障害者」と認定・診断されることもない人――をめぐる議論を導入し、「労働」できようができまいが、そして社会や他人に とって「正の機能」があろうがなかろうが、生存・生活・社会参加の権利(つまり市民権)は完全に保障されるべきだ、という見解を打ち出し、「健常者」自身 が従っている社会規範の解体・再構築の方向を示唆する。

「障害」をめぐる問題提起が「現代社会を支える規範にたいする根本的な問い」と結びついていることを解明するという著者の当初の狙いは、 「社会規範」それ自体に対する掘り下げた考察を欠いているため、十分に達成されているとは言えない。それにもかかわらず、本論文は、本学会の研究活動に新 たな視点を導入するものであり、編集委員会としては奨励賞に値すると判断した。

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